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  • 執筆者の写真アオテア教育サービス

NZ新政権「時代に逆行」なのか?

「NZ新政権はマオリ語の公用語撤廃を公言!時代逆行の政策に各地でデモが!」衝撃的なテロップに驚きました。この言葉が大きな見出しとなり、「差別的だ!」と多くの記事が取り上げられていますが、政策はいったいどのようなものなのでしょうか。


総選挙で勝利した国民党のクリストファー・ラクソン党首は、第42代ニュージーランド首相に正式に就任しました。ニュージーランド国民党は、内閣を組織している各国務大臣の役割や先住民族の権利、減税について、そして中央銀行の変更などの政策をめぐり、長引く交渉を経て、第1党の国民党(中道右派)とACT党(右派)、そしてニュージーランド・ファースト党(中道)も含めた三党連立政権に関する合意を締結しました。


ニュージーランドの政権は、未だかつてないほどの複雑な形になっていますが、この複雑な構造で、移民国家となったニュージーランドの多種多様にわたる国民からの要望を受けることができるのでは?という期待の声もあります。


この数か月は特に取り上げられ、デモが起きているのが「マオリ語の使用を撤廃!」というメディアの見出しです。連立協定において、マオリ語の使用を撤回し、マオリへの政策支援に対し、アファーマティブ・アクション政策を見直し、建国条約の文書「ワイタンギ条約」が、法律でどのように解釈されるかを改めて評価する計画の概要が示されたことに、反発するものです。

アファーマティブ・アクションとは、雇用や教育における機会均等を阻害する障害を取り除くことを目的に、疎外されやすいグループの不均衡を是正することに重きを置いた政策です。代表的なものでは、雇用機会の均等の確保があげられます。職場や教育において、マオリ民族出身の方は、他の民族出身の方にはうけられなかった支援が特別にありました。

しかしこのマオリ民族のための支援は、医療や教育の現場にみられるデータからも必要であることが分かります。マオリの方の平均寿命は、非マオリ民族出身者と比較すると7年の差があります。大学や専門学校への進学率も低く、就職率も落ちています。 オタゴ大学公衆衛生教授ピーター・クランプトンとオークランド大学学部長代理ワーウィック・バッグ教授の研究が、英国医学ジャーナル・オープンに掲載されました。二人の研究では、マオリ族とパシフィカ族の権利は向上しつつあるものの、より広範な社会においては依然として大きく遅れをとっていることが判明しています。また、二人は、マオリ族の先住民族の権利と、それらの権利が組織的に侵害されてきたことを研究の中で認め、

「これらの違反は1840年のテ・ティリティ・オ・ワイタンギ署名に先立って行われ、署名後も衰えることなく続いた。これらの行為は、ニュージーランドのヨーロッパ人に特権を与え、マオリを排除してきたし、これからも続いていくのでは」と言及しています。

研究の中で、これらの排除と思われるような歴史は、マオリ族と西洋人に限定されるものではないとしつつも、「マオリ族先住民族の権利と高い健康維持の必要な支援、そしてニュージーランド社会における入植者であるヨーロピアンの歴史的関係考慮すると、政策の実行には、特別な配慮が必要である」と主張しています。

朝はカフェでコーヒーから始まり、ランチはイタリアン、夕食は中華、友人へのプレゼントはマオリの工芸品、晩酌には日本のSAKEを嗜む……ここニュージーランドでは私たちの文化は想像以上に、多人種多民族に溢れ、そこで生活する人々はその共同体の平和に感動します。こんなにも多くの異文化コミュニティーに囲まれながら、この多くの移民からなるこの国では紛争も内戦もありません。しかし、ニュージーランドは多様な文化、多くの背景を持つ人種の多さから成り立つ移民国家になりました。マオリと西洋人、の二つには区分されない、その他の多くの人種グループに属する方々への公的配慮は、どのように成されるべきなのでしょうか。 ニュージーランドはアーダーン元首相の言葉をかりれば「500万人のチーム力」と表現できます。今日の民族集団の在り方に契機を与えたのが、1840年のワイタンギ条約ですが、その締結時にイギリス代表が「我々は一つの国民である」(We are one poeple)と宣言したように、条約締結以降は、『マオリ、西洋人(パケハ)の人種的な区別は消えてなくなり、‘ニュージーランド人’のみが存在する』という思想のもと、「国民国家ニュージーランド」は形作られてきました。 すべての始まりであり、これからの課題でもある、そして現在のニュージーランドを根本から支えているといっても過言ではないのが、この「二民族一国家」(biculturalism)から始まった「他者理解」に他なりません。先住民族マオリと移民のヨーロピアンの他者理解から始まったこの歴史の上にたつニュージーランドは、多人種多民族国家としてのロールモデルとしての歩みを世界から注目され、また一つ大きな動きが生じようとしています。

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